四万十川と土佐一條家から始まる
小京都物語

清流四万十川を旅する

「最後の清流」と呼ばれる四万十川。
 四万十市はその中流域から下流域そして太平洋に注ぐ河口にかけて位置します。四万十川を代表する風景「沈下橋」は増水時に壊れにくい構造をしているなど、長い歳月をかけて人々は川とうまくつきあう知恵を培ってきました。
 また、アユ・ウナギ・川エビ・アオノリなど豊かな川の幸と伝統的な川漁が受け継がれています。四万十川は流域全体が文部科学省の「文化的景観」に選定されていますが、それは風景の美しさだけではなく、人と自然との関わりの積み重ねの証です。
 川と人の暮らしがとても近い、四万十市は「川とともに生きるまち」です。

四万十川 楽しみ方いろいろ
 川を間近に感じられる観光遊覧船やカヌー体験、川沿いをのんびりサイクリング、形状や風景もさまざまな沈下橋めぐりなど、季節や自分のスタイルに合わせて、いろいろな楽しみ方をどうぞ。
 天然の川の幸や塩たたきなど、山・川・海のおいしいものが詰まった四万十の食は、市内飲食店や道の駅「よって西土佐」など、ぜひ地元の店で味わってみてください。

土佐の小京都を旅する
 四万十市(旧中村)のまちは、前関白一條教房公が応仁の乱による京都の荒廃を機に、領主自ら荘園を直接経営し回復をはかるため、応仁2年(1468)に高知県西部の中村へ下向し京都に擬して造られました。また、四万十川流域の豊かな森林資源は川を流して運び、京都一條邸の再建に用いられたと言われています。一條家はその後、天正2年(1574)に長宗我部元親によって豊後に追われるまで106年間栄えました。藩政時代には山内一豊の弟・康豊が治め、のちに3万石の中村藩が誕生しました。
 こうした歴史をもつ四万十市(旧中村)のまちは「土佐の小京都」と呼ばれています。四万十川の氾濫や火災、南海大震災等により、かつての城下町の姿を残す建物や、街並みは残っていませんが、碁盤の目状の町通りや、祇園、京町、鴨川、東山などの地名にその名残りが感じられます。

小京都の町歩き
 国の重要文化財「不破八幡宮」、中村御所跡に建立されたといわれる「一條神社」をはじめ、市街地に点在する一條家ゆかりの史跡・墓所などが見られます。
 また、「土佐一條公家行列(5月)」、「大文字の送り火(旧暦7月16日)」、「不破八幡宮大祭(9月)」、「一條大祭・御神火奉納行列(11月)」など季節によって小京都文化を感じさせる行事・祭事も行われます。
  
土佐の小京都についてはこちらをご覧ください

川とともに歩んできたまちの通史と幕末維新期の歴史にふれる旅

四万十市郷土博物館 
四万十市の歴史や文化は、四万十川やその支流のそばで続いてきた暮らしの積み重ねによって紡がれてきました。この「川とともに生きるまち」の姿をみなさんにお伝えし、まちの文化の継承と創造の基点となるよう、2019年2月1日にリニューアルオープンしました。階ごとの展示室の役割を分け、それぞれの切り口で四万十市の歴史や文化をお伝えします。
市街地を見下ろす郷土博物館の立つ為松公園は、春は桜の名所でもあり、公園内には石垣や土塁などかつての城跡の名残りが残されています。公園内は郷土博物館休館中も自由に散策できます。
電話/0880-35-4096 (休館中のお問合せは、TEL 0880-34-7311)
アクセス/しまんとトロリーバス郷土資料館下車 徒歩2分
住所/四万十市中村2356(駐車場30台)

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