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房冬の息子で、母は玉姫。20歳の年に祖父、父を相次いで亡くしつつも、津野氏、大平氏らとの攻防戦を繰り広げ高岡郡を勢力圏におさめるなどの活躍をしました。一方で長岡郡では長宗我部国親との争いが勃発するなど乱世への対応に苦労しますが、天文18(1549)年、28歳で自ら命を断ったと伝えられています。現在、房基の位牌は太平寺に安置されています。
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