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現在の拘置所付近はもとは中村支藩を統治した中村山内家の御屋敷があった場所です。ところが中村支藩は将軍綱吉との関係をこじらせ、元禄2(1689)年、高知本藩に吸収され廃藩となってしまいます。このため御屋敷跡は幡多奉行所となり、郡奉行が駐留するようになりました。
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四万十市中村桜町39
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