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山内一豊の弟康豊が中村支藩を収めたあとを継いで支藩を治めたのが二男の山内政豊です。石高は父と変わらず二万石ですが、寛容で心優しい城主だったらしく、良政を敷きました。この政豊の時代に中村城の普請で石垣等の修理を行なっています。寛永6(1629)年に33歳で没して中村妙因寺に葬られました。
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四万十市中村百笑町1−22
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