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咲かずの藤

長宗我部氏に土佐一條家の実権を握られ天正2(1574)年中村を追われ大分へ渡ることになった一條兼定は、一條家の家紋でもあり大切に育てていた藤に歌を詠んで町を去ります。歌は「育ててきた恩を感じているなら、来年には戻ってくるので長宗我部氏に咲いた姿を見せないでいて欲しい」という意でしたが、兼定は翌年の渡川合戦で敗退し、中村に戻ることはありませんでした。この歌が伝わったのか藤は花をつけることがなくなり、「咲かずの藤」と呼ばれるようになります。この藤が文久2(1862)年に花をつけたことを記念して一條神社が建立されたと伝わっています。

この旅のみんなの評価

四万十市中村京町1丁目2

咲かずの藤

長宗我部氏に土佐一條家の実権を握られ天正2(1574)年中村を追われ大分へ渡ることになった一條兼定は、一條家の家紋でもあり大切に育てていた藤に歌を詠んで町を去ります。歌は「育ててきた恩を感じているなら、来年には戻ってくるので長宗我部氏に咲いた姿を見せないでいて欲しい」という意でしたが、兼定は翌年の渡川合戦で敗退し、中村に戻ることはありませんでした。この歌が伝わったのか藤は花をつけることがなくなり、「咲かずの藤」と呼ばれるようになります。この藤が文久2(1862)年に花をつけたことを記念して一條神社が建立されたと伝わっています。

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四万十市中村京町1丁目2

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